毎年8月15日は、終戦の日です。

これをテーマに描かれた、手塚治虫の「紙の砦」という漫画のあらすじを、あなたは知っていますか?

あと、手塚治虫が、終戦の日の夜について話している肉声動画を、観たことがありますか?

私、かけらは全然知らなかったので、今日初めて肉声動画を観て、ビックリしてしまいました!

だって、手塚治虫が亡くなったのは、平成元年の2月で、約30年ぶりに、お声を聞いたからです!

あと、平成元年の2月と言えば、ちょうどうちの上の男の子が、生まれた時だったからなのです。

そこで、今回は、漫画家手塚治虫の紹介と、「紙の砦」のあらすじと、手塚治虫が肉声で語った「終戦の日」などについて分かりやすく解説します。

漫画家手塚治虫とは?



これは、私、かけらの中での、思い出の紹介と、ご本人の紹介と、大きく2つに分かれますので、それぞれについて分かりやすく解説します。

紹介その1:私の中での思い出!

私、かけらと手塚治虫との思い出は、ずいぶん古く、まだ大学一年生で、パートナーとお付き合いを始めた頃でした。

当時の彼にとって、手塚治虫とは、神様であり、彼が漫画を本格的に始めた、きっかけを作った漫画家さんでもありました。

私のパートナーは、まだ中学二年生の時に「火の鳥」を読んで、感動したので、ペンとインクで、漫画を描き始めたそうなのです。

なので、私も彼から「火の鳥」の漫画本を借りて読んだ時は、ビックリしてしまいました!

だって、あまりにもストーリーが崇高すぎて、それまでの私が知っている手塚治虫の作品はアニメの「ジャングル大帝」ぐらいだったからなのです。

・・・というわけで、「紙の砦」を読んだ時も、あまりにも感動して、チョットだけ泣いてしまった私だったのでした!

紹介その2:手塚治虫が漫画家になる前とは?

手塚治虫(本名:手塚治)は、1928年11月3日に生まれました。

11月3日と言えば、明治天皇の誕生日なので、当時は「明治節」といって、お祝いをしていました。

なので、その日に生まれた赤ちゃんに「明治の治」という文字を取って「治(おさむ)」と名付けられました。

裕福な家に生まれたのは、良かったのですが、小さい頃から体が弱く、小学生の時は、いじめられていました。

ところが、手塚少年が描く漫画が、あまりにも上手く、あまりにも面白いので、段々とお友達も増えて行ったのです。

なので、その頃から昆虫の「オサムシ」から名前を取って、ペンネームを手塚治虫と、名乗るようになったのです。

やがて、手塚治虫が13歳の1941年12月8日に、日本海軍がアメリカの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まったので、第二次世界大戦は激化して行きました。

事実、手塚治虫は1945年の6月に起こった「大阪大空襲」で、頭のすぐ上に焼夷弾が落ちてきたのに、逃げ延びて九死に一生を得ました。

やがて、同年8月15日に終戦を迎えたので、手塚治虫は漫画家になる、決心を固めたのです。

・・・というわけで、「紙の砦」とは、この頃の自分の姿を描いた「体験談」で、実話だったんですね!

「紙の砦」のあらすじとは?

これは、以下の通りに分かりやすく解説します。

主人公の大寒鉄郎は、戦争中だったので、

「漫画など描いて、浮かれている場合ではない!」

という、時代背景の中、それでもやっぱり、コッソリと隠れて漫画を描き続けていました。

そんな中、ふとしたことから歌手志望の、岡本京子と知り合い、お互いに将来の夢を持っていたので、仲良しになりました。

けれども、ある日、鉄郎が働いている工場に、京子が遊びに来た時「大阪大空襲」が起こってしまいました。

鉄郎は何とか無傷で逃げ延びましたが、京子は顔にひどいケガを負ってしまいました。

そんなある日、ラジオから天皇陛下の玉音放送が聞こえてきた、鉄郎だったのですが、うまく聞き取れず、

「どーせ、また、戦争を頑張れ!という、放送だろ…」

と、高をくくっていたのです。

ところが・・・。

・・・というわけで、あとは「紙の砦」の漫画本を買って、最後まで読んで楽しんで下さいね!(^^)

手塚治虫「終戦の日」

それでは、私が観てビックリしてしまった「終戦の日」という、手塚治虫の肉声の動画を、YouTubeの中で見つけましたので、ぜひ最後まで観て楽しんで下さいね!

「終戦の日」

まとめ

いかがでしたでしょうか?

このように、漫画家手塚治虫の「紙の砦」のあらすじと、手塚治虫が肉声で語った「終戦の日」などについては、全部実話だったのです。

あなたも、8月15日の「終戦の日」の正午には、甲子園球児のように黙祷をして、ご先祖様たちに、祈りを捧げて下さいね!